譲渡

福知山線関連

2005年4月25日に発生した福知山線脱線事故で被災した207系の一部廃車及び既存車両の帯色変更と117系のATS-P形非装備による同線からの撤退等が重なって車両が不足した。そのためJR東日本から当時武蔵野線で運用されていた8両1編成を同年7月28日付けで購入した。

同社に入籍後は既存車との編成組み換えで以下の経歴を持つ。

クハ103-821・828 : 広島運転所(E04編成)

モハ103-684+モハ102-840+モハ103-685+モハ102-841 : 宮原総合運転所→日根野電車区(K801編成→K606編成)

モハ103-686+モハ102-842 : 森ノ宮電車区(モリ17編成)→奈良電車区(NS402編成)→日根野電車区(J404編成→J414編成)

車両不足が解消されてからは戸袋窓が埋め込まれたが、貫通扉の窓は廃車になるまで小窓だった。

2010年6月付けでクハ103-821・828が廃車になった。その後2011年3月にはモハ103-686+モハ102-842が吹田工場へ、4月にはモハ103-684+モハ102-840+モハ103-685+モハ102-841も幡生工場に廃車回送され、全廃となった。

インドネシアへの譲渡

2004年にJR東日本が保有していた16両がインドネシア鉄道会社(PT. Kereta Api)に有償譲渡された。

これらの譲渡は現地での長期使用を考慮し、全て後期又は更新工事施工車が選ばれた。その後は東急8000系と同社8500系に移行したため16両で終了した。現地では前面下部にオレンジ色の大型スカートが設置され、これ以外にも前面窓には投石対策に金網が設置された。元都営6000形や営団の車両とともに日本のODA・政府開発援助により整備されたジャカルタ首都圏の通勤電車で有料の急行(Ekspres)・準急(Semi Ekspres/2008年に廃止)・Ekonomi AC(2007年新設)として運用される。

塗装は当初武蔵野線時代のままだったが、その後窓周りが黄色のツートンに変更された。その後2008年秋からは濃い青を基調とした塗装に変更された後2011年からは東海色を基調とした塗装に再度変更されている。現地でもJR103と呼ばれており、車番は日本での製造時からの番号をステンシルで記入している。但し、クハ・モハに相当する記号はない。行き先は前面窓内に方向板を掲出し、本来の方向幕は使用していない。なお、方向幕と路線図はJR時代のものがそのまま残されている。

北海道に渡った103系

1998年8月に廃車になった103系8両が北海道に機関車牽引で入線した。くわしくはこちらを参照とのこと。

民鉄

東武8000系電車は

1963年登場。

1963年から1983年の20年の長期にわたっての増備。

製造数が私鉄最多の712両。

抵抗制御。(地下鉄仕様車はバーニア制御も)

4扉

ロングシート

これらの共通点から「私鉄の103系」と呼ばれている。

名鉄6000系電車

6000系は東武8000系程ではないが以下の共通点がある。

抵抗制御。

製造数が名鉄最多の156両。

高速運転よりも加速力に重点を置いた性能。

末期に登場した車両はデザインが大幅に異なる等の共通点があることから「名鉄版103系」とも一部で呼ばれている。更に面白いことに103系の扉窓は大窓が基本で末期に登場した筑肥線用が小窓に対し、6000系は小窓で登場し、4次車から大窓に変更されているという双方で逆の展開となった。

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