常磐緩行線と営団千代田線との相互直通運転用に1970年から10両16編成160両が製造され、松戸電車区(現在の松戸総合車両センター)に配置された。但し、落成が少し早かったので本来の用途に使用されるまでは地上線で運用されていた。
0番台との変更点は以下の通り。
前面運行番号表示窓の上と側面幕板部には青21号の国鉄マークを掲出。
千代田線用のATC機器を乗務員室直後の床上に搭載したため該当部分のみ戸袋窓が廃止された。
営団での高加速に対応するため中間車は全て電動化(8M2T)。
主電動機の限流値を向上し、制御器は910番台で導入されたバーニヤCS40形制御器を搭載。
地下鉄線内での騒音対策から主抵抗器冷却には送風機を使用しない自然痛風式を採用。
前照灯をシールドビーム2灯化。
塗装は灰色8号と窓の上下に青緑1号を配置。
千代田線開業後は本来の直通運転に充当されたが、営団が用意した6000系が電機子チョッパに対し、本形式は抵抗制御で回生ブレーキを装備していないことから電力消費が大きかった事とそれに加えて地下鉄線内では抵抗器から発生する熱が室内に篭って高温になる問題があったので1984年から1986年にかけて203系に置き換えられて直通運用から撤退した。
直通運用から撤退した後は以下の用途に転用された。
西日本方面への105への改造。
56両は105系に改造され、奈良線・桜井線・和歌山線・紀勢本線和歌山 - 和歌山市間の電化開業用として奈良電車区に、可部線の旧型車置き換え用に広島運転所にそれぞれ転属した。分割民営化後は全てJR西日本に継承された。
常磐快速線・成田線への転用
松戸に残った104両は常磐快速線に転用され、ATCの撤去と塗装変更(青緑1号1色)が行われた。当初は本グループのみで編成が組まれていたが、後に0番台とも混用されるようになり、冷房も搭載された。分割民営化後は全車両がJR東日本に継承された。その後1990年に10両1編成が営団東西線乗り入れ用に回され、ATC-3形(色灯式信号用ATC)・デッドマン装置付マスコンハンドル化・塗色変更等が行われた。しかし2002年にE231系0番台の投入によって置換えが始まり、松戸所属は2004年3月までに、三鷹所属は2003年5月30日にE231系800番台に置き換えられる形でいずれも廃車になった。