中央・総武緩行線と営団東西線との相互直通運転用に投入された車両で301系の増備車に相当する。国鉄の財政難のためコスト削減の観点から103系の一族として製造されたが、301系と仕様を合わせた関係で地上用にはないクモハ102形が製造された。全て7両編成で1970年に1本、1972年と1978年に2本ずつの合計7編成35両が製造された。

1000番台との変更点は以下の通り。

ATCは東西線のWS-ATC(国鉄名称:ATC-3型)に変更。

このため乗務員室後部の戸袋窓が復活した。

機器配置を301系と揃えたので蓄電池の搭載車等が異なる。

塗装は301系と同じ灰色8号と黄5号になった。但し、当時在籍していた営団5000系は銀色だったので「銀色の電車」と案内されていた。

雨樋・窓枠・通風器形状や座席寸法等は他の103系と共通である。

地上用のマイナーチェンジに合わせて第2編成以降はユニット窓になり、座席寸法も301系に揃えられた。

主電動機も第2編成以降は後期型のMT55Aを搭載した。

分割民営化後は全車両がJR東日本に継承された。合わせて冷房化改造と一部車両の常磐快速線への転用も行われた。その後1991年に中央・総武緩行線に205系が投入された際誤乗防止の観点から本形式と301系は東西線のラインカラーである青22号に変更され、同時に案内も「銀色に青帯の電車」に変更された。ラインカラー変更と同時期に先述の冷房化も行われたので黄色帯の冷房車も一時期存在した。同時にクモハ102形を除く全車両の側面に字幕が設置され、前面幕も連動電動化された。

1991年12月1日のダイヤ改正で東西線は完全に10両化されたので7両編成の本形式と301系は全て10両編成に組み替えられた。運用に対して余裕が出たので12両が常磐快速線と成田線に転用され、所属も松戸電車区に変更された。これは冷房化の際予備車を確保する目的で松戸電車区から借入扱いで転入していた103系1000番台を本配置にし、(後のK8編成)その代わりに余剰となった車両を返却扱いとしたためである。

残存車は7両時代の旧K12・K13編成を中心に以下の車両を組み合わせて10両の新K6・K7編成を組成した。

モハ103・102-1202 松戸転出の旧K9編成から捻出

モハ103-1207+モハ102-1205 残存の旧K11編成から捻出

サハ103-429・430 浦和電車区から転入

モハ103-1207+モハ102-1205を抜き取られたK11編成はそのまま5両で新K9編成となり、同じく10両化で5両編成と残った301系と組み合わされた。その後は301系が廃車になったので予備車になった。

2003年にE231系800番台に置き換えられて本グループは撤退し、廃車となった。

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